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日々のこと

田舎者の自分から降り返る「一面しか見ていない」ということ

私は能登半島の漁村育ちなのですが、実家に住んでいた頃、警察とヤクザの抗争を密着取材している「新宿警察署24時」(←タイトル適当です)みたいな番組を観て、東京って、しょっちゅうヤクザがドンパチやっている場所だから、上京した暁には流れ弾に当たらないように、よけながら歩かなくちゃいけない、と思い込んでいました(←石川県民の名誉のために言いますが、こんな極端な思い込みは、私だけだと思います)
 
そして東京を歩くと、普通に芸能人とすれ違うと思い込んでいて、サングラスをかけた人を見かけると、芸能人かもしれない!と思い込み、すれ違う時は緊張しながらも、誰かな?とチラ見していました。
 
上京してしばらく生活をするうちに、全部思い込みだと分かったのですが。
 
コロナも、田舎の人からすると、東京(都会)の人はみんなコロナだ、と思い込んでいる風潮があります。
 
全くそんなことは無く、マスクや消毒をしながら、結構普通に生活しているんですけどね。
 
上記は一例ですが、ものごとの一面しか知らないと、世界が狭まって、誤った判断をしてしまいますね。
 
私は思い込みが激しいので、思いの強さで成し遂げたこともあるでしょうが、誤った判断も、たくさんやっちゃってそうです(^^;;
 
来年から…いえ、今日からずっと、ものごとを多面的に見れるように…せめて、表と裏のニ面は見れる自分になれるように、階段を昇って行きたいです。
 
写真は、綺麗に枝分かれしている神社の大木。
なんで枝分かれしているのか?
どうして1本なのに2本なのか?
そう考えると、色んな気付きをもらいました。