能登半島の田舎から上京しての生活が、もう人生の半分以上になりました。
確か、これぐらいの時期に、夜行列車に乗って、上京して来たんだったなぁ。
当時の私、色々勘違いしていることがありました。
まるでネタのようですが、全て本気の実話です。
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①東京は、ヤクザの抗争が毎日起きていて、日中でも弾丸が飛び交っていると思っていた。
東京の街を歩く時は、弾丸を避けながら歩かねばならないと思っていた。
②サングラスをかけている人は、全員ヤクザか芸能人だと思っていた。
なので、サングラスをかけている人を見かけたら、色々身構えていた。
③能登半島の実家には「雨戸」というものが無かったので、その存在を全く知らなかった。
上京したての頃に住んだのは新築のアパートで、雨戸が閉まっている状態からの新生活スタートだったが、雨戸を雨戸と思っておらず、アパート建築中に大工さんがガラスを守るために取り付けた部材が、そのまま忘れられて行ったのだと思っていた。
自分で開けるものだとは思っておらず、いつか大工さんが取りに来てくれると思っていたため、しばらく真っ暗な中で生活していた。
そして不便を感じていた。
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まだ何か、勘違いしていたことがあった気がしますが、今思い出せるのは、とりあえず上記3点です。
ほぼ山猿でしたね!笑
懐かしいなぁ。
甘酸っぱいなぁ。