半年くらい前に、聖路加病院で全身麻酔の手術を受けました。
手術自体は簡単なものでしたが、全身麻酔だったので、事前に麻酔科の先生から丁寧な説明を受け、付き添いの家族と一緒に読むパンフレットを渡されました。
そのパンフレットには、手術中、付き添いの家族が、どこで待てば良いかも、丁寧に記載されていました。
手術には、ダンナと、上京した実家の母が付き添ってくれたのですが、パンフレットに記載してあった待合室で待機しようとしつつ、通りがかりの看護師さんに、ここで待っていればいいんですよね?と確認したところ、違う場所を案内され、二人は混乱しながらも、案内された場所で待っていたようでした。
しかし、その場所は違ったようで、ダンナと母が違う場所で待っている間に、私は手術が終わり、病室に帰って来てしまいました。
怖かった手術が無事に終わり、早く家族と会話して安心したかったのに、帰って来た病室には誰もおらず、二人はどこに行ってしまったのかなぁと、しばらく不安でした。
30分ぐらいしてから、あっもう帰って来てる!という声とともに、ダンナと母が病室に戻って来て、私が麻酔から覚めた時にそばにいてあげられなくてごめんね、寂しい思いをさせたね、待っている場所が違ったのかなぁと言っていました。
看護師さんがちょっと案内を間違えただけなのですが、聖路加病院には、入院患者に、不快なことは無かったか、お手紙で聞いてくれるシステムがあり、せっかくなので、クレームではありませんが、こんなことがありました…と書いて投函しました。
そして、そんなことがあってから半年後の今日は、定期検診の日でした。
順番を待っていたら、上品なご婦人から「目黒さんですか? 私は●●といいます。聖路加病院の職員です」と話しかけられ、私が投函した内容を、謝られました。
そして案内を間違えた経緯を説明され、最後に「患者からご意見をいただいた場合には、責任者が集まる会議で、全員で確認し、改善策を立てています。この度はご意見をいただき、ありがとうございました」と言われました。
会議で、私が次に来る日時を確認し、上品なご婦人は、私に謝るためだけに、待っていてくださったようでした。
私は、恥ずかしながら、そんなことを投函したことも忘れていたし、そもそも、クレームというほどでもないと思っていたので、謝っていただいて、とても驚きました。
そして、さすが、聖路加病院だなぁ!と思いました。
だから、聖路加病院は聖路加病院なんだと。
聖路加病院が聖路加病院たる所以ですね。
些細なことでも、相手の気持ちを分かろうとしてくれる、きめ細かさがすごい。
ビジネスでもプライベートでも、謝るって、とても勇気の要ることだと思います。
一言謝ってくれたら、スッキリするのに、そんな言い方されたら…という時も、ありますよね。苦笑
謝るって、すごい。
謝ることができるって、すごい。
私も、自分が悪い時には、ちゃんと謝る大人になるぞ!
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聖路加病院に入院しました~後半~
なぜに「子宮」なのか
「子宮がんの一歩手前」という診断がくだってから「がん一歩手前」の場所がなぜ「子宮」なのだろうと、何度も考えました。
なぜ、胃や腸、肺ではなく「子宮」なのだろうと。
私は出産経験が無いので、子宮を使っていないからかなぁ?とも思いましたが「生み出す場所」である「子宮」を侵されたということは、私にとってとてもショックなことでした。
私は生まれてこの方、アイディアを出すことが大好きで「白紙の状態」というものが全く怖くないし「壊れる」ことも怖くありません。
「白紙だったらこれから作ればいい」「壊れたらまた作ればいい」と思っているからです。
私=アイディア、なのです。
つまり私は自分のことを「生み出す人」だと思っていたので、そんな私の生み出す臓器「子宮」が病気に侵されたのはなぜだろうと、落ち込みました。
寝る時もそういうことばかり考えていたので、なかなか眠れない日が続きました。
子宮は自分だった
幾晩も考え、勝手な結論なのですが、なぜか「子宮のことを考えるために、この病気になった」「だからこれからの私は『生み出せる力のある私』を、もっと大切にできるようになる」「手術で一時的なダメージは食らうけど、結果的には今より良くなる!」という結論に達しました。
手術は怖かったのですが、悲痛な気持ちは消えました。
なぜこのような結論に達したのか、理論的に説明できる根拠は無いのですが「身体がそう感じた」という感覚です。
子宮は自分、と感じました。
血管収縮で点滴入らず(汗)
たった一泊二日の入院でしたので、入院して数時間後にもう手術でした。
ここでトラブル発生!!!!!
私、すごーーーく、すごーーーく、手術が嫌だったのですね。
20年前に鼻の中にポリープができて、全身麻酔の手術をしたのですが、その時に、酸素マスクを当てられて、すぐに苦しくなり「苦しい」と言った直後から意識を失うという、最悪な麻酔のかかり方をしてしまったので、それが嫌な思い出となって残っており、手術というよりも、全身麻酔が嫌で嫌で、仕方ありませんでした。
でも、気持ちの中では受け入れていたのですが。。。
手術が嫌なあまり、緊張し過ぎて血管が収縮してしまい、麻酔の点滴を点す血管が、見つからなくなってしまったのです!
病室で「あれー、血管、、、細いですねー」と言いながら、左手を調べたり右手を調べたりしてくれた可愛い看護師さん。
「温めてみましょうか」と右手を温めてくれましたが、結局血管は浮き出て来ず、オロオロになってしまいました(ごめんなさい!)
そして本当は、病室から点滴を入れて手術室に行くはずが、それができなくなってしまったので、手術室で点滴を点すことになりました。
手術室で手をペチペチ叩かれた
手術室に行くと、さらに緊張が高まってしまった私。
麻酔医が私の左手や右手の色々な部分を調べてくれても、浮き出ている血管は無く、結局、手の色々なところを、ペチペチ叩かれて、無理矢理血管を浮き出させて、なんとか点滴を点しました。
点滴から麻酔が入ってすぐに、下半身から自由が利かなくなって来ました。
でも、嫌な感じは全く無く、気持ち良く、ふんわりと、自由が利かなくなって来た感じでした。
そして口の傍に管みたいなものを当てられて(多分、何か気体が出ていた)「ゆっくり深呼吸を繰り返してくださーい」と言われ、、、いつの間にか、あっという間に深い眠りに落ちました。
術後は爽快、ルンルン気分♪
看護師さんに「目黒さーん。もう終わりましたよー」と言われて、目が覚めました。
応答したら「目を開けてみてくださーい」と言われ、パチ!と目を開けることができました。
看護師さんがもう一度「終わりましたよー」と言ってくれましたが、眠っていた記憶が無かったので「準備が終わって、これから手術なんですね」と確認したら「いえ、手術も全部終わりましたよ」と言われたので、とてもビックリしました!!
点滴を点されて、全身に色々な装置を付けられているうちに意識を失ったので、まだ準備が続いているものだと思っていました。
そしたら、手術ももう終わっていたなんて!!
聖路加病院麻酔医のパワー
気分は爽快で、意識もハッキリしており「今、何時ですか?」と看護師さんに聞いたりしていました。
手足にも腹部にも何の痛みも無く、自由に動かすことができました。
無事に手術が終わり、気持ちが楽になった私は「どこも全然痛くないですー。足も真っ直ぐ―!分娩台に乗る時みたいに、足を曲げたりするのかと思ってましたー!」と気軽に看護師さんに話しかけました。
ちなみにこれは、手術室から個室に移動する、担架に乗せられてガラガラ運ばれている際に、ルンルン気分になって看護師さんに話しかけているので、少々ウザい患者だったと思います(反省)
看護師さんは「今は足は真っ直ぐにしていますけど、麻酔がかかっている間に、分娩台に上がるような恰好はしたんですよ。全部やっちゃったんですよ」と説明してくださいました。
手術室に入っている間は、1時間20分でしたが、前後の記憶しかありません。
痛いこともしたんだろうけど、全く痛くないって、すごいですね!!
とても丁寧だった麻酔の説明
痛みも無く、爽快な気持ちで目覚めることができた聖路加病院の麻酔医のパワーに感謝します!!
聖路加病院の麻酔の説明はとてもご丁寧で、麻酔医のお医者様のアポイントメントだけでなく、麻酔科や手術室から別途パンフレットを渡され、素人でも分かるように、細かく丁寧に、手術のことを説明してありました。
イラスト入りのパンフレットは、写メに撮って、実家の母にも送りました。
利き腕の点滴は不便(泣)
なかなか血管が浮き出て来なかったなか、かろうじて点滴を点すことができたのは、右手の甲でした。
そう、利き腕です。
利き腕の点滴は、とても不便でした。
特に術後はおしっこの量をビーカーで測らなくてはいけなかったので、点滴台と一緒にトイレに入り、点滴の管がグルグルしないように気を付けながら一旦ビーカーの中におしっこをし、その量を目視してからおしっこを便器に捨て、ビーカーを洗うという一連の作業をするのは、とても大変でした。
ダンナと実家の母が付き添ってくれていましたが、、、ギリギリ自分でできる範囲だったので、なんとか頑張りました。
聖路加病院ならではの「全室個室で、トイレ完備」だったから、できたことかな。
食べる喜びを全身で感じる
入院前日から手術後数時間は絶食・絶飲だったので、食事がとても楽しみでした!!
術後の食事制限は無かったので、病院食まで待ち切れず、ダンナに頼んで、
・お好み焼き
・お寿司
・フルーツ盛り合わせ
・スタバのチャイティーラテ
を買って来てもらい、病院の夕食までに全てたいらげました。
そして病院食も完食しました(笑)
下の写真は、聖路加病院での夕食です。
お箸袋に「聖路加病院」と入っているのが、ニクイですよね!
聖路加病院の色彩工夫
手術日翌日は、点滴がとれ、心身ともに楽になり、気持ちにも余裕が出て来たので、個室内をしげしげと観察しておりました。
全室個室の聖路加病院は、快適に過ごせるように、工夫がいっぱいあって、改めて勉強になりました。
天井から吊るされたテレビ。
ベッドから寝ながら観るには、ちょうど良い角度でした!
壁とロールカーテンは淡くて優しい色の組み合わせ。
照明も、優しくホッとする色合いでした。
角は絶対に丸い!
角ばった壁は、一カ所もありませんでした!
まさかの転倒時、万が一、
壁に身体をぶつけても、安心ですね。
レザーっぽい風合いの椅子が窓際に置かれていました。
明るく清潔感あるコーナーです。
短い入院でしたが、お気に入りのコーナーになりました。
上の写真の窓から見える景色です。
塔?みたなものが真ん中に立っていました。
椅子がもう一脚あり、なぜかアンティーク風。
備え付けの本棚には、聖書が入っていましたよ。
さすが、聖路加病院ですね。
はい、これ、注目してください!
テプラが「オレンジ色」でまとめられているんです!
「オレンジ色」は視認性が高く、
高齢者にも見分けやすい色であり、
さらに、楽しい気分になったり、
親しみを持てたりする効果もあります!
聖路加病院のスタッフの方々に、
色彩の知識があるのかどうかは分かりませんが、
結果として、入院生活が快適になる工夫になっていますよね!
お見苦しい写真でごめんなさい。
術衣が「紫がかった可愛いピンク」なのです!
女性だけかと思ったら、男性もなんですって。
「ピンク」には、緊張を和らげたり、
若々しい気持ちになったりする効果があります。
これも手術前の、沈痛な気持ちを和らげる効果がありますね。
入院中、履いていたスリッパです。
転倒防止のため「かかとがあるもの」を履くように言われ、
どこにも売っていないので、
結局、聖路加病院内の売店で買いました。
3,024円也。
高いけど、柔らかくて、とても履きやすいスリッパでした。
だけど、病院で履いていたものを自宅でも履く気にはなれず、
退院と同時に捨てて来ました。
一泊二日の入院記を書いた理由
私と同じ病気になった方や、聖路加病院に入院する方、全身麻酔の手術をする方のご不安が、少しでも和らげば良いなと思っています★
→聖路加病院に入院しました~前半~
聖路加病院に入院しました~前半~
子宮がんの疑いあり
ゴールデンウィーク中に受診した人間ドックで「子宮がんの疑いあり」と出て、聖路加病院で精密検査を受診したところ「子宮がんの一歩手前」との結果でした。
8月23日(木)・24日(金)と、一泊二日で聖路加病院に入院して来ましたので、記録として、このブログを書いておきます。
(今はもう退院しています)
私はどちらかと言うと、発信者側の人間だと思っています。
私のブログによって、自分の身体を大切にする人が一人でも増えれば良いなぁと思いますので、入院に至るまでの経緯や、入院中のことを記録として残しておきます。
コルポスコピーが告げた結果
聖路加病院では「コルポスコピー」という精密検査を受診しました。
心身ともに負担のある検査です。
受診するにあたり、お医者様から、正常な細胞ががん細胞に変わる過程や、私の細胞が正常じゃないにしても、どの辺の段階なのかを調べるためにこの検査を行いますと、丁寧にご説明いただきました。
「コルポスコピー」は心身ともに負担で、疲れたけれど、この先にまだなにかあるとは思っていませんでした。
つまり、私は自分が病気とは全く思っておらず、しんどい検査はこれで終わりで、この後はせいぜいが経過観察だと思っていました。
だから「コルポスコピー」の結果は、気軽な気持ちで聞きに行きました。
でも、お医者様から告げられた結果は「ガン一歩手前」でした。
正常な細胞ががん細胞に変わる様子を図にしたものを私に見せながら、お医者様がご説明くださったのですが、全く欄外と言うか、一番悪い!みたいな場所に、私の細胞は位置しているようでした(お医者様がそうおっしゃったわけではなく、お医者様が指し示した図で、私が受けた印象です)
カレンダーを目で追えない
「ガン一歩手前」・・・。
そう聞いた時、手術で怪しい細胞を切除するのが一番良いというお医者様からのご提案に、すぐに同意しました。
そこまでは冷静に判断できました。
でもその後、だんだん現実味を帯びて来て、お医者様と手術日を決める際は、頭が真っ白になって、カレンダーを目で追えなくなりました。
スマホでグーグルカレンダーを開いて、意味も無くスワイプばかりしていました。
そして泣きそうになって来たので、おとなしく椅子に座って泣くのを我慢しているのも辛くなって来て、早く診察室から出たいあまり、適当な日時を決めて、診察室を出て来てしまいました(後で変更をお願いしました)
泣いた後に立ち直った
泣くのを我慢して診察室から出て、すぐにダンナに電話しました。
ダンナの声を聞いた瞬間、ワー!!と泣きそうで、それを我慢していると、結局何も喋れなくなりました。
人目を気にしながら、嗚咽しながら「ガン一歩手前なので手術する」と言いました。
ダンナが手術の日は付き添うと言ってくれたことで、とても安心できました。
その後、実家の母や親しい友人にも電話して状況を話したり、会う人ごとに「子宮がんの一歩手前なの」と話しているうちに、だんだんと気持ちが落ち着いて来て「悪いものは治そう!」という前向きな気持ちになって来ました。
私から電話やメールが行ったり、直接「子宮がんの一歩手前」告白を受けた皆様。
さぞかし、驚かれたことでしょう。
でも、皆様の熱くあたたかい励ましのお陰で、私の気持ちは元気印になりました!!
聖路加病院が名だたる所以
手術日が決まってから、心電図を測ったり、採血・採尿、麻酔医とのアポイントメントなど、聖路加病院に通院することが何度もあり、結構忙しかったです。
でも、さすが世界の聖路加病院だなー!って思ったのは、スタッフが全員、優しいことです!!!!!
お医者様も看護師さんも。
基本的に、ゆっくりと「どうしましたか?」と聞いてくれるし、説明が終わった後も「何かご質問は無いですか?」と、こちらが言い出すのを待っていてくれます。
患者数をさばくために、早く早く!と急かされるような雰囲気は、微塵も感じられませんでした。
これって、不安な気持ちの人にとっては、とても重要なことですよね。
美男美女揃いの医療スタッフ(駄)
そしてなぜか、スタッフの方が、どの方も、美男美女!!
お医者様は、男性も女性もいらっしゃいましたが、なぜか皆様、整った顔立ちで、頭も良くて顔も良い人が揃っている病院だなーと思っていました。
優しくて美しい人(笑)ばかりが揃った病院だったので、通院はもちろんのこと、入院も、とても快適に過ごせました。